劇団道化座、前代表の須永克彦(筆名/渡辺 鶴)が、9月25日永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝しますとともに、謹んでお知らせいたします。
葬儀・告別式は故人・遺族の意向により近親者のみで執り行いました。
ご報告が遅くなりましたご無礼を、何とぞお許しください。
前代表須永克彦逝去に、多くの方々からお心を寄せていただきました。心より感謝申し上げます。
本日は、こんなにも多くの方々にお集まりいただき、ありがとうございました。 須永さん、よかったね! 須永にはお野菜をいっぱい食べてもらって、もうちょっと元気で一緒にお芝居をしたかったなあと思います。なかなかお野菜を食べてもらえなかったので、よくケンカをしました。
亡くなる少し前に、ベッドに体を横たえたまま、「僕、がんばってんねん」といった姿が、何ともいじらしく可愛かったです。
本当に穏やかに天国に召されていきました。
頑固でワンマンな須永ですが、その反面、繊細で細やかなところがあり、ややもすると怖がりの面もありました。 「普通の人々の普通の生活の中にこそ、ドラマがあるんや」と家族のお芝居をたくさん創作した須永さんでしたので、世の中が荒廃していく様に人々の心が荒んでいく様に、他の人よりも深く傷つき耐えられない思いであったようです。
今、考えると、それが病に繋がったのかなあとも感じています。
経済優先の中、なかなか営利に結びつかない演劇は、どんどん片隅に追いやられ、少子高齢化の影響もあり劇団を維持することは年々困難な状況です。
劇団道化座は1950年に創立しました。終戦の5年後です。世の中はもっと大変な状況であっただろうし、荒んでもいたと思います。そんな中で、お腹の空腹を満たすのと同じように、心を満たすものが強く求められたのだと思います。 今、経済が優先し、心が踏みにじられていくことの多い世の中です。そんな世の中だからこそ、演劇をはじめ人々の心を豊かにできる文化の役割が重要であり、存在意義があると思います。
震災で全てを失ったとき、多くの方が亡くなる中、生き残った私たちは自分の存在意義を問われました。私たちが「生きる」ということは、「芝居をする」ことでしかありません。以後、須永さんは、芝居に命を燃やし続け、その一生を終えました。
続く私たちも、どんなに荒んだ世の中になろうとも、光を求めていきたいと思います。人々の心が健やかで、互いに思いあい、慈しみあえる、平和で穏やかな世の中になるよう、生の舞台演劇を通して、お役に立ちたいと願います。 ささやかなささやかな演劇活動かもしれませんが、ここにいらっしゃる多くのお芝居に携わる皆さまと共に、これからもお芝居に熱い命を燃やしていきたいと思います。
須永さん、長い間、ご苦労様でした。ゆっくり休んでくださいね~。
本日は、本当にありがとうございました。
㈳劇団道化座 渡邉(馬場)晶子
2019年11月22日「須永克彦さんを偲ぶ会」挨拶より