1939年7月、神戸に生まれる。神戸市立菊水小学校、市立夢野中学校、市立神港高校を卒業後、神戸小劇場(北島演劇研究所)を経て、劇団道化座に入団。以後、「道化座の須永」として演劇に打ち込む。演出は170作品、出演は200作品を数え、渡辺鶴名で劇作した戯曲は40編を越える。人間への深い愛情と洞察力、演劇創作における発想の柔軟さ、独自のしなやかさで構成された舞台は、「普遍的な題材に真摯に取り組んだ舞台」「日常生活を描きながら、人間の生き方に大きな問題を提起した演劇」として国内外の多くの観客を魅了してやまない。
特に、平成7年の大震災以降の活躍は目を見張る。震災をふまえた創作劇<生きる>シリーズ6作、<新生きる>シリーズ6作、<ともに生きる>シリーズ6作を劇作・演出出演、全18作を上演完遂した。これらの作品は、被災した多くの人々に希望と勇気を与えたとして高く評価された。
長年、中国との交流に努め、一人芝居「カンカン人生」は北京・天津・南京・上海はじめ中国各地で好評を得、二人芝居「幸福」は上海戯劇家協会より“特別栄誉賞”を、一人芝居「贋役者・莎王の独白」は同“特別参加賞”を受賞。日中合作「小蓮の恋人」は中国と日本の各地で公演し「平成7年度文化庁優秀舞台芸術公演奨励事業」に選ばれた。震災直後の平成7年3月には、中国演劇界の協力を得て、大阪新劇団協議会制作、老舎/作「茶館」を演出し、「大阪舞台芸術賞」「十三夜会奨励賞」を受賞する。2005年に上海での“亜洲当代戯劇季”(現・上海国際戯劇季)名誉会長に就任、2010年11月には15度目の中国公演を行う。また韓国との演劇交流にも努め、「幸福」「幸福2=家族」「幸福の条件」「おやじ」を平成12年より4年連続訪韓公演する。須永の抜きんでた劇作・演出・演技は、中国、韓国等アジアの国々からも高い評価と厚い信頼を得ている。神戸と大阪で開催の<アジア演劇祭in関西>でも主要な役割を果たし、関西演劇界の重鎮として、日本、アジアの演劇文化発展に貢献する。
2019年 9月 25日 永眠
※印以外は全て劇作、演出、出演
その他、多数出演、演出
その他多数出演